江戸時代と明治時代の大阪長屋に関すること
江戸時代の狂歌師、大田南畝の記した「所以者何」に「大坂ハ御覧の如く長屋建家多く御座候」という一節があります。元禄2年(1689年)における大坂市中の世帯数は、家持1万2977に対して、借家は6万8315となり、借家世帯が84%を占めていました。当時の借家人の住戸形式は長屋建ての借家でした。このように江戸時代より大阪には独特の長屋の文化が存在していたことが知られています。
明治半ばから戦前にかけては、大阪市内で「長屋建築規則」や「大阪府建築取締規則」といった大阪特有の法制度の下に建てられた木造長屋が、多く存在しています。
参照:谷直樹・竹原義二編「いきている長屋 大阪市大モデルの構築」、大阪公立大学出版会、(2013,3)